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クリスマスディナーへ人を誘うための広告的ブログとクリスマスについての論考

僕は時々思うのです。何故人はクリスマスを祝うのかと。

日本人にはお正月というものがあって、その日は大抵どこの会社でもお休みになるものですから、親戚が一堂に会して、テレビ以外に娯楽がなく暇を持て余した子供達にはお年玉が、年がら年中呑んでるくせに「正月だから」と言って互いにお酌をする大人たちにはビイルや酒が与えられる。そうして年が終わることを悲しく思い、新しい年に希望を馳せるものですから、諸行無常、侘び寂びを重んじる日本人の性格を正月というやつはよく表しているような気がします。


でもクリスマスはいまいちピンとこない。25日の昼間に新橋にでも出向こうものなら、ネクタイを締める疲れ切ったサラリーマンが忙しなく駅の前を行ったり来たりしているし、居酒屋の店内を覗けばクリスマス色を前面に押し出しいるけれども、七面鳥の代わりに唐揚げや手羽先果ては焼き鳥が運ばれてくる始末。子供達も「いい子にしてなきゃサンタはこないよ」と言われるからプレゼント欲しさに寝るけれども、本当のところトナカイが空を飛ばないことくらい知ってるし、フィンランドとかいうどこにあるかもよくわからない国に世界中のプレゼントを無償で提供するような経済能力がないことくらい三歳児でもわかっているから、子供は騙されたふりをする。つまるところ日本という国全体がクリスマスをよくわかっていないもので、あと一週間も寝ればお正月がくるものですから「まあ国の祝日でも何でもないしケーキ食ってイルミネーションでも見りゃいいんじゃね?」とかいう安直な意見にみんな頷いてしまうわけであります。


しかしクリスマスとは本来キリストの生誕を祝うもの。何で人様の、それも本当にいたかどうかわかんない輩の誕生日を祝わないといけないのか、僕はスコットランド人の友達の実家で開催されるクリスマスディナーに招待された時、ふと気になって聞いてみました。

「まあ、うちキリスト教じゃねえからな、正直どうでもいいよね」

「そうなんだ、でもクリスマスやるんだ」

「まあ家族とか親戚とか近しい友達が集まって一年を振り返るいい機会だからね」

ああそうか、つまるところ彼らは日本でいう正月のようなものをクリスマスにしているようなものなのか、そう思うと何故か妙に納得できて、そんな限定的な空間に僕が呼ばれたことにとても嬉しくなったのを覚えています(んでそん時彼のおじさんに飲まさせられすぎてカーペットに吐いたらしいのですがよく覚えていません)。


結局クリスマスなんてのは建前に過ぎないのです。何ならこのスディナークリスマスの一ヶ月以上前に開催してるんだから本当にクリスマスって言っていいのかも怪しい。でも毎年やってるから仕方なくやるんじゃない、酒があり、クリスマス限定の食べ物があり、人の交流があり、年忘れがあり、そうして来年への期待があるからやるのです。役員は仕事の辛さを振り返り、一年生は来年への希望を込めて振り返り、会員は今年あったりなかったりしたことを振り返り、そうして再び交流を温めて、来年への希望とともに「場」を囲む。クリスマスディナーは結局「言い訳」に過ぎず、本当のところクリスマスじゃなくてもいいのです。食べて、飲んで、喋って、騒いで、笑って、憂いて、そうして今年の毒を吐き出して、少しでも心のしこりを取り除いて、来年も少しだけ頑張ろう、そう思えるような時間が流れていれば、それで言い訳なのです。


というわけでありまして、11月22日、スコットマンホテルだったかな、でクリスマスディナーやります。宣伝です。宣伝しないと人来ないから。

詳細はこのリンクを見てください。


それでは皆さん、当日お待ちしております。うちの会長がどんな格好をしているかも注目しておいてくださいね。



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